402456 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

法門無尽 福井孝典ホームページ

10月


┌──────────────────────────────┐
 │FORUM2-7 第43号 10月5日(土) │
└──────────────────────────────┘

 雨で二日間延びた体育祭が3日(木)に開催されました。台風の為に雨の続いていた空が、その日はくずれることもなく、暑くも寒くも無い、体育祭にはうってつけの天気となりました。
平日ということで、父母の皆様には参観がなかなか難しかったかもしれません。或は大勢の方がいらしたのかもしれませんが、私は自分の担当の仕事を一日やっておりましたので、クラスと一緒に応援することも、皆さん方と顔を会わせる機会もありませんでした。しかし、その担当の係りというのが放送の仕事でしたので、競技の内容はつぶさに見ることが出来ました。
放送係りは、うまく行っていれば当たり前で、失敗すれば全体に重大な影響を与えてしまう部署です。木島君をはじめ放送委員の係り生徒達もそのことをよく理解して最後までよくやってくれました。
今回の体育祭で私が一番嬉しかったことは、クラス全員の者が参加することが出来たことです。
夏休み明けから具合が悪く、ずっと欠席の続いていたA君が、体育祭までには学校に出られるようになりたいと先週金曜日の予行演習の日から登校し始めたのです。しかしちょうど台風と重なった急激な気候の変化と、いきなり体育祭の練習を含む午後までの授業で、前日の2日に熱を出してしまいました。それで3日に彼の顔が見れるかどうか心配しましたが、朝、少し照れたような彼の笑顔を見た時は本当に嬉しかったです。「大丈夫か?」と聞くと「大丈夫」と頷きます。そしてその言葉通り最後まで元気にやり抜きました。二人三脚障害物走では、最初好調なスタートを切ったものの、足を結んでいた八巻がほどけてしまい、どうなることかと思いましたが、態勢を整え、最後は他のクラスの走者を追い抜いてゴールインしました。
誰もが皆、本当に力いっぱいやっているのがよく判りました。遠崎さんは感想にこう書いています。「自分の出る競技が決まって、あとは本番を待つばかりだった私は不安と緊張でいっぱいだった。その当日の朝から、へんな汗をかいていて、自分が狂いそうなほど緊張していた。入場門に並んだ時は、ハンパない緊張のかたまりだった私は、足がふるえていた。グランドに走って入った時は全身がふるえていて、自分でも理由が分からないほど、頭がパニックだった。そして走った。でも走った後は、全身をめぐっていた血がおさまったような気分だった。終わった今は『とてもよかった』という気持ちが私の心の中にいっぱいになってとても満足している。私の出ていない競技も見ていて楽しかった。今年の体育祭は本当に良かった。」……すごい緊張と武者ぶるいです。でも、きっと誰もが同じようだったのではないかと思います。
学級対抗リレーも全員を燃えさせてくれる劇的な展開でした。第一走者の遠崎さん、第二走者相田君、第三走者羽田さん、第四走者佐々野君、第五走者古橋さん、第六走者渡君、みんな頑張って走りましたが、なかなか一位を走る3組に追いつく事が出来ません。4組もなかなか強く、前のレースより速い展開です。しかし杉野さんの所で前を走る走者をつかまえ、アンカーの江藤君の所で追い抜きました。抜かされても、3組のアンカーは再び抜き返しそうな勢いもあります。最後まで目の離せない場面を続けながら、江藤君がゴールに飛び込みました。二年全クラスでリレー第一位を獲得したのでした。
女子団体のハリケーンでは、練習では絶好調だったのに、本番では帰りにポールを回り忘れるというおっちょこちょいな勇み足があり失格となってしまいました。大量点の入る所だけに皆真っ青になりましたが、それでも総合第二位(準優勝)を確保。最後に皆胸を撫で下ろしました。男子が騎馬戦で勝利したのも効いたのでした。
こうして今回は結果も付いてきましたが、いつでもそうだとは限りません。一生懸命頑張ったけれど成績は振るわなかったということもあります。でも大事なことはその一生懸命やったというそのことです。100メートル走も二人三脚も団体競技も、全員が一生懸命やっていました。そのことが美しい思い出につながるのだと思います。

┌───────────────────────────────┐
│FORUM2-7 第44号 10月11日(金) │
└───────────────────────────────┘

 実りの秋と言われています。この気持ちの良い季節には出来ることがたくさんあって、忙しいけれどもとても充実している気分になります。
先日私はヨットレースに初めて出場し、一時はなんと首位を走っている自分を発見する場面もありましたが、ターンで失敗し、ブービー賞獲得と相成りました。次回は優勝を狙おうと思っております。
学校では今、どこのクラスも合唱を練習する声で溢れています。
実を言うと、私はこの合唱が大好きなのです。文化的行事として演劇作りに熱中していた時期もありました。しかし合唱は横浜の教員になってからずっと絶えることなく、クラスで取り組む最大の文化的行事の一つでした。
全員が一つになって一つの心を表現する。その細やかさとダイナミズムには大きな魅力があります。心を表現する、特に美的な感情を表現するということは大切なことです。よく「心を開く」ことの必要性が説かれることがありますが、そういうことにもつながります。集団の協力性ということも言われていますが、合唱の場合も相当高度なそれが求められます。
表現するには先ずイマジネーション(想像力)が必要です。自分達が表現しようとしているのはどういうことなのかを色々心に描いてみることが必要です。感動する気持ちを自分の心の中に蘇らせてみることです。そして人として共通したその感情を再確認するのです。
自分達の発信する感動がどういうものなのかイメージがつかめたら今度はそれを表現する技術が必要になります。これが一番重要な所です。場合によってはこの技術を磨いているうちに最初述べた感動を見つけるということもあります。
合唱の場合、その最も基礎となるのは声の量と質です。何を歌っているのか分からないというのでは聞きようがありません。心の感動の大きさを示すように大きな声がおなかから素直に出て来るように練習します。しかしこれがなかなかうまくいきません。一つにはそういう表現の非日常性からです。英語を話す時とも通じますが、普段、英語を発音するようには日本語を発音していないし、歌うようには話していないからです。ですから、これは練習しなければなりません。それも正確にパート毎が一つになっていなければなりません。そしてその三つのパートが綺麗にハモっていなければならないのです。
それが出来たら今度は色々な演出を入れる必要があります。ピアノやフォルテ、クレシェンドやデクレシェンドは元より、色々な工夫をして歌に表情を付けるのです。本当はここが一番面白い所なんだと思います。私の好きなリチャードクレダーマンは、一番クライマックスの音をわざと小さく弾きます。演歌歌手やボブディランはわざと一小節ずつ伴奏から遅らせたり速くしたりして歌うことがあります。それもすべて演者の思い入れの入れ方と考え方によって決まってくる所です。しかし学校の合唱では余りそういう所までは広げて行くことは出来ないでしょう。
そういうことですから、練習をすればする程新しいドラマ性みたいなものに気が付き、より良いものに完成させたいという意欲も出てきます。しかし限られた時間の中で合唱以外にもやらなければならないことは山程あります。現に来週からは中間テスト。試験期間中は、当然かもしれませんが練習はいっさいやらず試験勉強に専念して貰います。
しかし試験が終了すると、もうあっと言う間に本番なのです。猛特訓が必要になるかもしれません。その中で、一つの作品を仕上げることは大変だが充実したことなんだということ、しかもみんなでそれを協力して成し遂げて行くことは楽しいことなのだということを感じて貰えれば幸いです。創造すること、協力すること、それは人間にとって本質的な喜びです。しかも歌を歌うことは人間の本能的喜びに基づいているのです。誰もが歌を歌いたいという気持ちを持っているに違いありません。歌いたい曲を思いっきり歌えるということは、もうそれだけで絶対に楽しいことなのです。7組の自由曲は過半数以上の賛成で選んだものです。生徒達のやる気と感性を信じたいと思います。
ということで、最近は、ああこの仕事は楽しいと、教師として喜びの多い毎日を送らせていただいております。
ただ、試験期間中は一時休止、試験勉強に専念です。


┌───────────────────────────────┐
│ FORUM2-7 第45号 10月14日(月) │
└───────────────────────────────┘

 待ちに待った第二土曜日。前日の天気予報によると朝は曇りで昼からは雨が降る確率が高いということでした。私は例え雨であってもヨットに行こうと決めていたのでした。所が、寝ている間から発熱し鼻水も出て来て、朝起きた時も頗る具合が悪いのです。それでヨットは断念しました。
 天気は、予報が見事に外れ、爽やかな秋晴れ。私は午前中暫く机に向かっていましたが、鼻から頭にかけ眠くなるほど重いので、庭にビーチ用の折り畳み椅子を広げ、そこに横になりました。
微熱を抱えながら鼻がつまり少し頭痛がし、身体中がかったるいという感覚は私の小さい頃から親しい感覚です。それが余り年中だったので、そういう感覚を通して眺めた街や辺りの景色も頭の奥底に蓄えられています。その記憶が蘇ってきます。
薄いセーターを着ていますので、僅かな風は気になりません。寧ろ日差しが眩しく、それが身体を暖かく包んでくれます。猫がにゃあと甘えた鳴き声をたてながらゆっくりと私の方へ寄ってきます。芝でバッタがぴょんと跳ねると、猫はぴくっと静止し警戒するように頭を下げます。犬がその様子をぼんやり眺めています。辺りには鳥や虫の鳴き声が重なっています。平常は聞き漏らしてしまいがちですが、注意して聞くと改めてその賑やかなことに気が付きます。青い秋の空には鳶が悠々と風に乗って回っています。
 私は昨日友人が北海道からジャガイモと一緒に送ってくれた、彼の住んでいる女満別のパンフレットを眺めます。彼とはジェッダの日本人学校で一緒に働いていたのでした。黒澤明監督の「夢」の一シーン、ゴッホの「カラスのいる麦畑」を再現したシーンはそこで撮影されたということが載っていました。写真を見ると女満別は網走湖畔の美しい所です。コンピューターの「駅すぱあと」で調べてみると横須賀から3時間42分、往復57180円で行けるとのこと。そのうち家族で行ってみたい場所です。
鳥の声を聞いているうちに以前から残されている一つの疑問を思い出しました。ウグイスは英語でなんと鳴くのか? ――パソコン通信の英語のフォーラムで訊ねた所、親切にも答えてくれた人がいました。
次のようです。

┌────────────────────────────────┐
│1 日本のうぐいすは、外国にいるのでしょうか。ローマ字で<ホーホ│
│ケキョ>と書いたらどうでしょうか。
│ 日本のうぐいすは<うぐいす科>に属すると<広辞苑>に出ています│
│この辺を百科事典で調べて下さい。何でも日本の物が英語の世界(英国│
│米国)にある訳ではありません。何でも英語に訳せる訳ではありません│
│鶏などは全世界、共通ですが。

│2 和英辞典では<うぐいす>の所に"a Japanese warbler"(日本の鳴
│く鳥)とか"a Japanese nightingale"と出ています。この"warbler"は鳴
 く鳥一般を指す広い意味の単語です。英語ではこの"warbler"に"nighti-
│ngale"、"whitethroat"、"chiff-chaff"などの鳥が含まれます。

│3 次に、上の鳥の鳴き声を書きます。これはある英国人に今回、教え│
│てもらいました。
│ nightingale: tu-tu-tu-tu(鳴き声の一部) or jug jug(詩の中で使
│われている)
│ whitethroat: wheet or whit
│ chiff-chaff: chiff chaff(名前自体が擬声語的) or zip-zap

│4 この程度しか私には分かりません。これ以上の事は鳥の専門家にお│
│尋ね下さい。これ以上は英語自体の問題ではなくて、鳥類の専門の事に│
│なります。
│                            ひでお │
└────────────────────────────────┘

私が体調を崩すのは何かが一段落した時のようで、今回は金曜日に中間テストの問題を作り上げたことが原因しているようです。生徒達は試験を解くのに大変ですが、教員はそれを作るのにかなり神経を使います。責任は重大ですし、この為に生徒達が苦労するのかと思うと余り楽しい作業でもありません。しかしその準備がすっかり整ってしまうと矢張り少しガクッと安心してしまいます。
この号が発行される月曜日にはすっかり良くなっている予定です。ご心配なく。


┌────────────────────────────────┐
│FORUM2-7 第46号 10月16日(水) │
└────────────────────────────────┘

 三年半ぶりでしたか、現在衆議院議員の選挙戦が行われています。この間に日本では政権が幾つも変わりました。世界もこの十年間で大変動を起こしています。新しい世紀を迎えるに当たって今、激動の時であるのは間違いありません。
 孔子は「四十にして惑わず」と言いましたが、この世界大変動の時代を迎え、自分の信条や生き方を今一度考え直さざるを得なくなっている方も結構多いのではないかと考えられます。それは幸福なことでも好ましいことでもありません。しかし私もその一人でありまして、このFORUMも皆様方と話をしているうちに、実は自分自身の生き方も探求できるかもしれないと思って書いています。
現在進行している大変革を牽引しているのはエレクトロニクスとコンピューターです。これは産業革命時の蒸気機関と電気の発明にも匹敵するものだと思います。これにより重厚長大を宗とする産業構造から軽薄短小なそれへと転換が進み、権力構造もピラミッド型の縦系列から横に拡がるネットワーク系列へとシフトし始めたようです。しかし多分何よりも大きな可能性を持っているのは、この科学技術革命を情報革命と言うように、情報量の飛躍的な増大から考えられる事柄です。
 大道中の二年生がコンピュータールームを使ったのは、英語の時間に数回あっただけですが、その時の様子は本当に目を輝かして、自分からどんどん新しいことをやろうとしていました。きっと直感的にこの道具が自分達に必要になることを知っているのかもしれません。まだソフトが少しずつ開発されている段階ですが、コンピューターが重要な教育機器となるのは時間の問題だと思います。
学生時代、哲学書を読んだ時、著者の述べていることを立体模型、それも時間概念を入れた四次元の模型にしたら解りやすいかもしれないなと考えたことがあります。それもコンピューターグラフィックを使って作ることが出来そうです。  このコンピューターによる映像は実際には見ることの出来ない情景をまことしやかに表現してしまう所が画期的です。最近のアメリカ映画にはこの技法がふんだんに使われています。どこまでが本当でどこまでが作り物なのか判らない程うまく作られているものもたくさんあります。これもアメリカ映画の中でしきりに出てくるのですが、バーチャルリアリティが進んで行くと、コンピューターを操作する者がそのまま映像世界に入って行くことも可能になります。
 人間の目や耳、手、足等の感覚で入って行け、他者の存在する現実世界とも連結している世界、こういう世界がどんどん膨らんでいくことでしょう。戦闘機やオートレースを体感するようなゲームから始まって、今やもう少し大がかりな疑似体験のアミューズメントが出来ているようです。これが映画に代わる何か別の娯楽を生み出すことでしょう。
別の惑星で別の生物との出会い、絶世の美男美女との恋、大昔でも超未来でもいつでも何処へでも行け誰とでも会うことが可能になるかもしれません。
イマジネーションと観念の世界がどこまでも発展して行くことが可能です。そしてそれが感覚出来るようになります。それが現実的な価値(金)にさえなるのです。こうなってくると虚像と実像の差はどうなっていくのでしょうか?
例えばスーパーマンでもジェーソンでも虚像の世界に実在させることが出来るようになるでしょう。そして自分自身さえ。
 自分自身をコンピューターにインプットという考えは不死の自分の創造ということにも繋がります。自分のあらゆるデーターを丹念にインプットし、それを又自分の姿や表情、声と繋ぎ合わせて置けば永遠に再生可能な、しかも自分の考え方で思考する「自分」が残存することになります。
スイッチ一つで数十代後の孫達が、生き続ける「自分」とコンピューターを介して相談するのです。  
 この話を娘にしたら、なんともおぞましい光景だというようなことを言いました。
生き方の探求は、どう死ぬのか何を残すのかという探求でもあると思います。四十を過ぎたら少しはそういうことを考えてみるのも良いと思います。今書いたのはそのほんの導入です。
 最近、何を書いたら良いか迷うことがあります。何か話しのきっかけになるようなお便りをいただけたらと思います。
 
┌────────────────────────────────┐
│FORUM2-7 第47号 10月21日(月) │
└────────────────────────────────┘

 音楽って何でしょう?
 ルソーはその起源についてこう書いています。「韻律と音声は音節とともに生まれ、情念はあらゆる器官にものをいうようにさせ、その輝きでもって声を飾る。かくして韻文と歌と言葉は共通の起源を持つ。最初の話し言葉は最初の歌だった。」(『言語起源論』P103)
黒澤明は「映画というのはほかの芸術の何に似ているかといえば、やっぱり音楽に一番似ているのよね」(『黒澤明語る』P7)と語っています。確かに彼の映画のシーンの繋ぎ方には音楽を感じさせるものがあります。シューベルトの交響曲『未完成』の演奏がそのまま映画のクライマックスとなってしまった『素晴らしき日曜日』という作品すらあります。
 ミュージカルでオペラ座の怪人は音楽の精霊となって闇夜の音楽を情念を込めて歌います。
音楽って何でしょう?
 それは人間が人間になった時以来存在する極めて私達の生活に身近なもののように私は感じます。芸術作品は全てそうですが、その中でも最も直接的に人間の感情に結びついた表現形式。そうであればこそあらゆる人間活動の底に流れ得るもの。そういう親しみがあります。
昔、「唇に歌声を心に花束を」だったかそういうような標語を耳にしたような記憶がありますが、そんな綺麗なものでなくても、人のあらゆる行動についてその背景に音楽を置いて、うまくマッチするような気がします。それだけ音楽の守備範囲は広いのでしょう。
 私は季節に対してもそうなんですが、音楽についても基本的には全て好きなのです。よくクラッシックはどうもとか演歌は嫌らしいとか若い人の音楽には抵抗があるとかという声もありますが、まあその時の気分もありますが、基本的にはなんでも好きです。実際、新しい曲の中にも良いものはたくさんあります。前いた横浜の学校でも放送委員を担当していましたので、リクエスト番組等で常に最新のヒット曲に触れていられたこともその認識に役立っています。
壮行会でブラスバンドが演奏していた『負けないで』はまさに雰囲気がピッタリだった強い印象があります。桑田佳祐は天才ではないかと思うこともあります。『TOMORROW』とか『島唄』なんかも良い曲だと思います。その他宮崎駿のアニメに出てくる音楽もなかなか良いです。なんだ、全然新しい曲じゃないじゃないかと言われる方も居るかもしれません。ま、新しい古いのいずれにせよ、本当は何でも好きなんですから、挙げていったらきりがないのです。
それで今回クラスの生徒達がポピュラーソングを選んだ時も、その時はどんな曲か知らなかったのですが、コンクールで発表出来る合唱曲になっていれば良いとだけ言って、余り心配しなかったのです。三十名近い生徒が支持するのは多分良い曲に決まっています。翌日生徒達がYAMAHAから買って持って来たのは「高等学校・中学校の普通クラス授業や校内合唱コンクールなどに活用できるように編集しました」と編者が書いている混成三部の楽譜でした。私の出した条件を完全に満たしていましたので即座にOKしました。何よりも生徒達のその曲を歌いたいという意欲が大切です。
後で聞くとこの『空も飛べるはず』はスピッツというグループが歌っているとのことです。スピッツと言えば私は『チェリー』という曲を知っていました。

  君を忘れない 曲がりくねった道を行く
  きっと 想像した以上に 騒がしい未来が 僕を待っている
 「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ 
 ささやかな喜びを つぶれるほど 抱きしめて
  ズルしても 真面目にも 生きてゆける気がしたよ
  いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい

 という歌です。これなんかも好きな曲で、娘達と歌ったこともあります。
 しかし合唱というのは、音楽を楽しむということに加えて、学級のまとまりとか協力とかという要素が大きく問われてきます。7組の生徒も練習していく中で挫けそうになったり泣きが入ったりしたこともあると思います。そういう努力の結果のコンクールです。
23日の合唱コンクールには是非足を運んでください。


┌────────────────────────────────┐
│FORUM2-7 第48号 10月24日(木) │
└────────────────────────────────┘

 合唱コンクール無事終了。この無事という所に担任の安堵感が籠もっています。練習も重ねたことだし生徒も信頼しているつもりですが、矢張り何かミスをするのではないかと最後まで緊張していました。果たして結果は、ミスすることもなく、担任としては満足しています。2年生の合唱が終了した後の休み時間にたまたま1年生の場所にいたのですが、そこで「空を飛べるはず」を歌っている1年生達がいて、あゝあの歌が心に残った子達がいたんだなと感動しました。
 合唱を仕上げるということは色々なドラマを生みます。その一端を覗いていただこうと、終了後の生徒達の感想を順不同で載せます。
◇一ヶ月間練習をしてきて本番では賞を取れなかったけど、僕は自分自身練習には取り組めたと思っています。練習の中で思ってもみないハプニングや、まじめにやらない人や、逆にがんばってみんなをリードしてくれる人など色々あったけど、今となって振り返ってみると一日一日が充実した日々だったと思います。◇いい思い出になったと思う。朝早く起きて部活を早く切り上げて一生懸命取り組んだ歌の練習。ぼくらは選曲からつっかえたが最後はまとまってより一層いいクラスになったと思う。賞としては形ではいい結果として出てこなかったが、この合唱コンクールでクラスみんな一人一人がクラスのメンバーなんだなと感じたのが何よりの収穫だったと思う。とにかくくやしかった!◇今年から「文化祭」から「合唱コンクール」に変わり合唱というイメージが強かったので去年より練習がきつく感じた。選曲でも現代音楽を選んでしまったので、音楽の先生から見捨てられたのはたぶん確かだと思う。だから、歌い方も自分達で工夫したり各パートの声量を調節したりしたが、今年も賞を取るのは無理だなとうすうす感じていた。だが、思ったより素晴らしい出来だったし、他のクラスの合唱も楽しめたのでよかったと思う。◇合唱コンクールはつまんなかったけど、クラスみんなで練習している時はすごく楽しかったです。来年の合唱コンクールはもっと楽しくしてほしいと思いました。こんな合唱コンクールが来年またあったらたぶんみんないやがると思います。発表の時にちゃんと表にしてみんながどのぐらいの点を入れられたのかを見せて発表してもらいたかったです。練習していた時は楽しかったから良かったと思いました。◇朝早く来たり放課後の練習、合唱コンクールのために一生懸命やりました。朝の練習は何度か遅れてしまったこともありましたが本番精一杯できて良かったと思います。去年は全然練習しなかったから歌もあまりじょうずに歌えなかったけれど、今年は発声や細かい所まで練習したので去年よりきれいにクラスとして歌えました。今回のように練習して本番を迎えると気分まで去年と違ったような気がしました。賞は何かとれるかなとか思っていたのにとれず残念でした。他のクラスの合唱はリハーサルで聞いたより上手な所が多くてびっくりしました。でも私達も精一杯出来たので良かったです。◇自由曲の「空を飛べるはず」では賞は取れないと言われ、練習も何もやる気はしなかったけど、ずっと練習いている時、「それなら賞は取れなくてもとことんうまくなってみかえしてやろう」と思いました。それからは朝、放課後と歌う時は一生懸命とりくんだりもした。でも「賞が取れないんじゃなあ」と思うことも何度も何度もあった。けどそのたび「うまくやろう」や「楽しくやろう」と思いぐんぐんうまくなっていったと思う。そして本番では思いっきり出来てなんだかすごくスッキリした。だけど選曲だけで賞がとれなくなるなんてなんだか心残りもする。◇全体的に練習時間が少なかったせいかなかなかまとまらず少し悔いが残ったかもしれません。でも本番では大きな声でとてもうまく歌えたと思います。一年生も声変わりにもかかわらず女子も男子も大きな声で歌っていたし、三年生もセンパイの実力を見せつけるようにとてもきれいな歌声を聞かせてくれました。もちろん二年生も短い練習時間だったこともなんのそのですばらしい合唱でした。自分達の歌が聞いていた人達にどういう印象を与えたのかはわからないけれど、私個人では精一杯歌えたと思います。最後に疲れてしまって眠ってしまったけれど、また一つ良い思い出がつくれたと思います。◇あんなに練習したのに賞に入れなかったのが残念でした。だけど、合唱コンクールって年々つまらなくなってきたと思います。最初の練習から声をつぶしてがんばりました。だんだん練習していくうちに高い声も出し慣れて順調でしたが、本番の日に近付いていくうちに何故か声が出なくなってきて不安ばかりが頭をよぎりました。だけど練習していたある日、いきなりまた元の声が出るようになったんです。終わった今でも、出なかった理由は分かりませんが無事に終われて良かったです。練習したかいがありました。来年は最後になるので、とびきりの声を出したいと思います。◇毎朝、朝練をしてきて大変だった。始まる前とか、すごい緊張していて始めの方は思うように歌えなかった。ピアノの方も、すごく緊張して足がガタガタふるえた。7組の歌は良かったと思う。    (つづく)


┌────────────────────────────────┐
│FORUM2-7 第49号 10月25日(金) │
└────────────────────────────────┘

 前回の続き、合唱コンクールの生徒達の感想を載せます。
◇今日やっと合唱コンクールが終わりました。一ヶ月くらい前から一生懸命練習してたまには練習に遅れたこともあったけど、すごく自分なりにまじめにやって後悔なく歌い終わったのですごく良かったと思いました。でも一つちょっと気になるのは審査です。どうやって決まったのかくわしく知りたかったです。他のクラスの合唱を聞いてすごく楽しかったです。とくに自由曲は今日初めて他のクラスのを聞いたのですごいと思いました。すごくうまかった所などは今もよく覚えています。とにかく今日は思う存分にはっきできたので(歌を)、すごく良かったと思います。◇歌う前はあまり緊張しなかったけど、歌っている途中から足がふるえてしまった。そして終わってからはほっとした気持ちになり疲れたような気がした。朝の練習には遅刻しないで来れたので良かった。みんな努力してがんばれたと思う。思いっきり歌えて楽しかった。◇合唱コンクールを終えて僕が思ったことはもっと口を開ければ良かったということです。9月から始めたのにあまりうまくなれなかったのが残念です。来年は優勝できるようにがんばりたいです。合唱コンクールでクラスがいっそうまとまったのが良かったです。これからもクラスが楽しくなればいいなあと思った。◇今日の合唱コンクールを終えて私は声が出てたと思った。だから私自身満足がいった。前日とかに他のクラスから「7組って絶対何かもらえそうでいいね」とか色々言われていたので、賞はとれたと思った。でも結果は×。しかも最優秀賞は2組だった。私からしたら2組よりは3組のほうが声の量とかも出ていたし良かったと思った。そう思うと不公平な気がし、7組が賞を取れなかったのは「自由曲の選択」だと思った。来年からは体育祭みたいに全クラスの得点を表示してほしいと思った。その方が納得出来るから。◇リハーサルの時は全クラスともあまり本気を出していなかったみたいだけど、本番になると他のクラスもものすごい歌声だった。朝早く練習したりしてクラスの団結力が強くなったと思う。自分自身のことでは本番の時に練習の時の1/2の声も出なかったことが悔しかった。普段の練習の時にもっと緊張して取り組めば良かったと反省している。でも何よりも男子も女子も歌うことをバカらしいと思わずにクラスの全員で取り組んでくれたことが一番嬉しい。このような時に、大人ぶっている人やいつもふざけている人、静かな人もみんな同じなんだなと思える。合唱コンクールは、もう一度クラスの人や友人を見つめ直す一つの機会だと思った。◇朝練や放課後残って練習したりして一生懸命がんばったけれど賞が取れなくて悲しかった。でも本番の合唱コンクールでは実力が出せたと思う。来年もがんばりたい。◇課題曲の最初の方は声をおさえてしっかりハモるようにした。練習が大変だったけど失敗しないで歌えたので良かった。でも入賞しなかったので残念だった。他のクラスもけっこう上手だったけど、やっぱし自分が歌ったのが一番だと思った。◇みんなとても響きがあっていて良かった。賞はもらえなかったけど、私達のクラスはみんな精一杯がんばったので、たぶんみんな満足していると思います。それにみんなその人その人が真剣にとりくんでいたのでそれなりにみんなうまくできたと思います。私が思うには、どのクラスもへたなところなんかなく全員がうまかったから、どのクラスも賞がもらえるはずなので、今回の合唱コンクールは良かったです。クラスのみんなで朝も帰りも練習したかいがとてもあったので、今やってよかったなあと思っています。◇僕は合唱コンクールの練習をしてとても良かった。それは楽しんでできたからです。やなこともあったけど、それなりにくじけないでやりとげたことが何よりだった。でもどこがいいとかどこが悪いなど得点などをつけてほしかった。僕は優秀賞はとれると思ったけれど、それはそれでしょうがない。3年生になったら賞をとりたいので、目標ができて良かったです。◇なんだかんだと言っても、色々な歌が聞けてけっこう楽しかった。みんなが一生懸命歌っているのがわかった。◇審査の基準が変だ。でも練習はけっこうおもしろかった。はじめのうちはみんな下手だったけど、最後は上手になったので良かった。他のクラスも上手だったから、聞いていても楽しかった。◇最初の練習の時は声がなかなか出なかったけど、だんだん声が出てきた。朝早くから練習したのでとても眠かったです。合唱コンクールの日は学校に8時ぐらいにつき練習をした。ちゃんと間違えないで歌えたので良かったです。賞状はとれなかったけど、僕は満足しました。他のクラスの曲を聞いている時、眠くてあまり聞いていませんでした。でもとても楽しかったです。◇精一杯がんばった。練習は熱心にできた。本番はとても緊張した。けどみんなでがんばって歌えたから良かった。緊張したから声も時々ふるえたかもしれない。今年の合唱コンクールはどのクラスも上手だったと思います。◇今まで練習してきた分を充分に発揮できたと思う。練習は長い間やったのでとても疲れた。途中声がかれかけたけどがんばってやりました。来年はもっとがんばって賞をとりたいと思います。来年は最後の合唱コンクールなのでもっと満足できるようにしたいです。


┌────────────────────────────────┐
│FORUM2-7 第50号 10月28日(月) │
└────────────────────────────────┘

 今朝の風に少し冷たさを感じました。最近はもう完全に長袖のシャツで、チョッキとかブレザーをその上に羽織っています。山の方では紅葉が広がっているようです。私達の周りでは、それ程秋の暮れていく気配は未だ感じられません。思い起こせば、ちょうどこれくらいの気候がサウジアラビアの一番寒い時の天気だったような気がします。或いはもう少し暖かかったかもしれません。しかしこの位の気温になると現地の人は寒い寒いと言って、それこそ真冬の格好をする人もいます。 以前、何を書いたらいいのかというきっかけになるようなお便りをいただきたいということを書きました。そのことで、合唱コンクールの時に会ったお母さんから、何か外国の珍しい話はないかというヒントをいただき、成程それなら何か書けるかもしれないと思いました。
例えばサウジアラビアのテレビでの天気予報の時間です。向こうでも日本と全く同じ形式で天気予報の番組があります。アラビア語で語っていますので何を言っているのか判りませんでしたが、毎日決まったように、アラビア半島の地図の上に大きなお日様マークが掲げられていました。
 或いは何か宗教上の理由からか(コカコーラの資本がユダヤ系であるとかという話を聞いたことがあります)、サウジで飲めるコーラはペプシに限られているということ、ま、そんなことはどうでもいいことですが。ちなみに値段は一缶1リアル(35円)でした。それはちょうどガソリン1リットル分の値段です。 さて今回は記念すべきFORUM50号ですので、発行者でありクラス担任である私の所信を述べようと思います……。と言っても毎回自由に書いているのですが。 ここ十年程ずっと感じていることに、「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」(論語 先進篇)ということがあります。主に教育に関してです。例えば、子供がどんなに可愛くても、可愛い可愛いとそればかりで育てたのでは、厳しさの欠けた甘えた子供になってしまうでしょう。逆に、自分を厳しく律する事が出来るようにという教育を過度にやり過ぎれば、優しさの欠けた潤いの無い子供が出来てしまう可能性があります。どの程度やるのかという、程度の問題でもありますが、大事なことは何故、何の目標でそれをやっているのかということをしっかり把握し見失わないことです。
 子供を可愛がるのは子供の為であるのと同時に親としてのそのままの感情表現でもあります。ある場合には親のストレートな「愛情表現」が子供の成長を台無しにすることもあるのです。逆に、子供を厳しくしている時、それが子供の為である時と、場合によっては親の都合で厳しくしていることとがあり得ます。親のいらいらで子供に当たるということは少ないでしょうが、一見子供の為であると思っていても本当は親の勝手な思いこみによるものだということも結構多いのです。
学校教育についても全く同様のことが言えます。例えば体罰の問題を挙げてみますと、これなどは犯罪ということになっていますが、私はそういう手段を使った教師は別に犯罪をやろうとしてやったのでは無いと思います。それが必要である、子供の為になると思ってしたのでしょう。しかし本当にそれが必要であったのか子供の為になったのかを深く考えてみる必要があったのです。私は、どうしても必要な実力措置というもの(例えば自衛の為とか教育に対する妨害排除とか)はあり得ると考えています。しかし体罰と言われるものは教育の手段として拙劣であり取ってはならないと考えています。 ま、体罰の問題は極端で、言わば悪いのは判っている訳ですが、もっと一般に教育活動として行われていることの中にも、本当に子供の為になっているのかどうかを吟味してみなければならないことがたくさんあると思います。親の場合と同様に、それが子供の為と言うよりも教師や学校の勝手な思い込みや、場合によっては都合によって行われているということがあるのではないか、そこの所の吟味が必要だと思います。勿論、教師や学校にもそれぞれ都合はある訳で、それはそれで考えて貰わなければなりません。それは親の立場と同様です。私の言っているのはそういうことではなく、本来全面的に子供の立場になるべき教育内容が本当にそういうものとなっているかという反省です。
教育内容は時の流れによって変えていかなければならないものもたくさんあり、また変える必要の無いこともあります。それらを柔軟な頭で見極めなければなりません。子供もやりたくないと思っている、親も迷惑だと思っている、教師も殆どが必要無いと思っている、だけど学校ではそういうことを行っているということがあるのは不思議な気がします。最近、学校では教育課程や行事を見直して「特色ある学校づくり」を進めることになっていますが、単に量的な問題ではなく教育活動のやり方を含め、そういう視点をどう貫いて行けるかが大事なことだと思っています。


┌────────────────────────────────┐
│FORUM2-7 第51号 10月30日(水) │
└────────────────────────────────┘

 ラジオの音楽番組を聞いていましたらDJが言いました。「世界で一番、交通の危険度の高い国は何処だか知っていますか? ……一番危険な国はケニアです。二番目に危険率の高いのはエジプトです。最も安全な国はイギリスということで、日本は安全な方の六番目だということです。」
聞いていて成程なと思いました。イギリスではレンタカーを借りてスコットランドを一周しましたが、道路もよく整備され、譲り合いの精神や交通道徳も人々によく浸透しているように感じました。エジプトは、ラッシュアワーの雑踏の一人一人が車に乗っているような感じで、もうぶつかろうが触れ合おうが平気で先を急ぎます。当然、車もべこべこです。  
 ケニアの交通事情はかなり特殊かもしれません。ナイロビを出ればもう舗装された道路は殆どありません。第一次大戦の時にイギリスが造ったという舗装道路は大きな穴だらけで、車は路肩を走ります。路肩にも大きな穴は開いています。その時だけはややスピードを下げますが、それでも車は信じられない程の速度で突っ走ります。どんな道であろうとどういう交通事情であろうとという感じです。我が家がチャーターしたサファリカーは日本車でした。これ程頑丈ななものなのかと改めて感心したものです。
土埃を舞い上げながら信じられない速度で疾走するのには色々事情があります。その一つは部族間の抗争による治安の悪さです。
 こんな話があります。
 予約してあった帰りのフライトが突然無くなったということで、急遽半日早くマサイマラからナイロビまで戻ることになりました。夜、走ることになるということでドライバーガイドでスーダン人のアダムは朝から心配しています。昼中何やらスワヒリ語で無線を使って手配しています。昼食時に車の近くに寄ってきた物売りを鞭で追い払うようなこともありましたが、ドライブは順調で、夕方、いつまでも沈まない太陽に照らされる赤い大地の美しさに見とれ、妻などは『夕焼け子焼け』を歌い出していました。
モスリムのアダムはその時断食期間中でしたので、日が落ちるとバックからパンを取り出して食べ始めました。相変わらずのスピードで車を走らせながら食べます。昼中猛烈に働いてやっとものを口にした彼に、妻は「どこかへ停車してゆっくり食事したら」と言いました。すると彼は「あなたは状況が全く判っていない」と言います。「ここでは絶対に止まれない」と。
暫くすると道の要所要所に懐中電灯を光らせている人を見るようになりました。誰もがライフルか小銃を持っています。政府機関を握っている部族の警備隊が私達の車を護っているのだと言います。アダムが昼中無線で手配していたのはこれだったのです。サファリカーは普通、夜は走らないのです。
 それを知ると妻はもう怖がってしまって、怖いわねえを連発します。緊張した雰囲気に娘達も黙り込んでしまいます。ケニアの道に街路灯なぞありません。村にも電気は引かれていません。真っ暗な中を疾走します。その夜遅く、何処からかドラムの音が響いてくる真っ暗なナイロビに到着したのでした。その晩泊まったホテルでは夜中にドアのノブをガチャガチャ回す者がいました。誰?と尋ねても答えがありません。もし不用意に開けてでもいたら大変なことになったでしょう。
私達がケニアに入る前にドイツ人観光客が国立公園で警察の格好をした賊に射殺されたというニュースを受けていましたので、武装した警察に出会っても護ってくれるのか襲われるのか判らないという不安を覚えたのでした。
 それでもアフリカ大陸は素晴らしかったです。「ジェラシックパーク」で恐竜達が実際に生活している姿を最初に見た時、ゲスト達は口をぽかんと開けて感嘆の声を上げましたが、ちょうどあれと同じような感動があります。大自然で動物達が生きるとはこういうことかと、その美しさに息を呑み、自然の摂理のようなものの存在感に呆然とします。
マサイ族は今も長い槍と盾を持ち赤い布を巻いて草原を歩いていました。
 私は若い頃からアーネスト・ヘミングウエーが好きで、高校時代に彼の全作品を読んでしまった程ですが、彼の愛したアフリカ、彼の愛したキリマンジェロがありました。ただ多分ヘミングウエーの時代と違うのは、現在は趣味のハンティングは禁止されていますので、動物達の人間を見る目がとても穏やかなことです。ライオンなどは寝ている所を近付いて行っても、ちょっと寝返りを打つようにこちらを向いてから馬鹿にしたように又寝てしまいました。でもそれはとても嬉しいことではありました。常に殺戮と恐怖をまき散らす動物の変種でばかりいたくありません。……シマウマとかクロッコダイルの肉は美味ではありましたが。
ジャンボ!というのが、こんにちわ!の意味であったのを現地で思い出しました。向こうの人は本当によくジャンボ!と言います。




© Rakuten Group, Inc.